生活習慣病と肝疾患

社会構造の視点からの考察

1 肝疾患の増加

健康診断をすると約3割の方に肝機能障害が見つかります。殆どが脂肪肝(肝臓の細胞内に過剰に脂肪が蓄積した状態)であり、主な原因は体重増加と過剰な脂肪の摂取です。今回は生活習慣が元で生じる肝臓病についての話題です。但し、読者の方々が目にする機会も多い話題ですので、少し切り口を変えてみたいと思います。日本の社会構造の変化を概観して、如何に日本人が運動不足になってきたのかをまず検証します。次に回を変えて食生活の変化も解説したいと思います。




2 テクノロジーの進歩と日常生活の変化

A:村のはずれのお地蔵さんは

山上武夫作詞、海沼実作曲の昭和20年発表の童謡「見てござる」の一節です。江戸時代から明治時代、地域によっては大正、昭和になっても、生まれ育った地域から一生出ることなく生活している人々が多くいました。そのような人にとっては自分の村は外の世界から守られていて、旅人が疫病を持ち込んだりしないように、村はずれにはお地蔵さんが建っていたのです。地域内(半径5劼らい)の移動は勿論殆ど徒歩です。では、昔の人は最も歩く場合にどのくらいの距離を移動したのでしょう。江戸時代の日記を解析して、ある寺院への参詣の旅で1日約35卻發い燭箸竜録があります。現代人はどうでしょう。東京からロンドンまで9580劼鯣行機で移動するのに約半日です。自動車で1日500劼らいのドライブをすることもあります。現代人は昔の人に比して圧倒的に長い距離を短時間で移動できるようになり、その生活圏は村のはずれのお地蔵さんを越えて大きく広がりましたが、反比例して歩かなくなってしまったのです。その生活スタイルに大きく変化をもたらしたものは何といっても自動車の普及ではないでしょうか。


B:自動車の普及

現代の日本には約7800万台の自動車があります。1885年にドイツで初めて発明されてから13年後の1898年に日本で最初の自動車が走行しました。それから30年後の1928年に日本には約6万台の自動車が走るようになりました(同時期にアメリカ合衆国では既に約100万台の車社会が成立していました)。その後太平洋戦争での敗戦から日本が高度経済成長を迎え所得が飛躍的に増加するにつれて自動車が急速に普及しました。普及率は1961年に世帯の2.8%でしたが、1980年には80%にまでなったのです。日本に車が導入された頃はまさに国のトップや政財界の要人の乗り物でしたが、今や完全に庶民の日常の‘足’となりました


C:歩かなくなった

このように現代日本人は車社会で暮らすようになり、日常の足として車は大活躍です。日本で車が急速に普及した1960年代は車道と歩道の分離も進んでいなかったり、信号機の設置がなされていなかったり、交通ルールが十分に知られていなかったりして年間に1万2000人余りの人が亡くなりましたが、今はそれらの社会的インフラも改善され、また、車自体の性能もよくなった成果として交通事故の犠牲者は4000人台にまで減少しました(これは1952年頃の死者数に相当します)。それはそれで大変喜ばしいことなのですが、我々日本人が歩かなくなってしまったことは一向に改善して来ないのです。現在自家用車の年間平均走行距離は1万500劼任垢ら、年間で実働250日として1日約40劼料行です。これは毎日約1時間弱を車と共に過ごしていることになります。我々は日常の足として車を使い、従来はなかなか出かけられなかった遠方の行楽地に気軽に出かけたり、重い荷物を週末にまとめ買いしたり、あるいは公共交通機関では時間がかかってしまって通いきれないような距離にある職場や学校にも気軽に通勤・通学できるようになったのです。このような極めて便利な生活手段を手に入れてしまったことで、却って何にでも使うようになってしまい、運動する機会も気力も少なくなってきたと考えられます。


D:産業構造の変化

江戸時代は武士が人口の約1割、農民8割であったといわれます。それが産業構造の変化により、現在は農業などの第一次産業従事者は就労者の約5%となり、オフィスワークが中心の第三次産業従事者が全体の約7割です。この産業構造の変化からも、現代人を集団として見た場合、昔の人々よりも平均として体を動かさなくなった集団であることが分かります。しかも通勤に自家用車を使用すれば体を殆ど動かすことなく一日が過ぎてしまうことも珍しくなくなりました。


3 処方箋

とにかく体を動かすことです。血圧、心臓のご病気をはじめ、各種の持病を有する方々で、主治医から運動を禁じられているような方以外は、とにかくまず歩きましょう。出来れば1日1万歩です。1000歩10分として1時間40分で1万歩を歩くことに使うのです。これは平均的な体重の方で300kcalの消費となりますから、余分に摂取したカロリーの消費に役立つのです。今は下着の素材の改良もされているので、きちんと工夫をすれば殆ど室内と同じような感覚で外出することも可能となっています。今の時期多く耳にする言葉に「寒くて外出する気にならないので散歩はしませんでした」があります。室内で最新の大型テレビの前に座り、スマートフォンを構って間食するばかりではなく、外出する時の服装にも最新の装備で臨むようにしたらきっと散歩も楽しくなるのにと思います。折角四季の移り変わりのはっきりした日本で生活しているのですから、どんどん散歩して身近な小さな自然の移り変わりを感じましょう。そうすることで高価な医療費を掛けなくても健康維持にきっと大きく役立ちます。


食生活の変化からの考察

1 肝疾患の増加の背景

社会構造の変化という視点から肝機能障害を考察しました。改善策はとにかく運動することでした。次は食生活の変化からの肝機能障害の増加を考察したいと思います。


2 我々の先祖は何を食べてきたか

A:米が食生活の中心

日本列島で稲作が行われるようになった時代は今から約2300年前に始まる弥生時代です。それまでの縄文時代、あるいはそれより前の時代は狩猟、採集による生活をしていました。約2万人と推定される縄文人の食生活は遺跡の発掘からかなり詳細に判明しています。つまり、主な食料はトチ、クリ、ドングリなどの堅果類や、ヤマイモなどの根茎類であり、魚肉、獣肉は補完的に食していたようです。栄養素は、炭水化物が主で、タンパク質、脂質の含有率は少ない食事でした。その後水田耕作が行われるようになると食料が安定して供給されるようになり人口が急速に増加しました。弥生時代初期には約60万人の人々が生活していました。但しこの時代の水田の収率は現代に比較すると悪く、一人一日せいぜい米一合程度であったと推計する研究者もいます。不足分は狩猟、採集で補われました。その後中世までに日本人の食生活がほぼ確立され、一人一日四合の米を中心として魚介類で不足を補うようになり、太平洋戦争の敗戦まで基本的には同じ食生活でした。つまり、炭水化物中心の食生活だったのです。


B:摂取カロリー、炭水化物、脂質の経年変化

宮沢賢治没後の昭和9年に発表された雨ニモマケズの有名な一節、「一日に玄米四合と味噌と少しの野菜」で長らく我々平均的な日本人は生活してきました。一日の摂取カロリーに占める炭水化物の割合は実に約81%であり、脂質からはわずかに9%程度でした(摂取カロリー1903kcal、昭和21年)。太平洋戦争後の高度経済成長で摂取カロリー、脂質の割合も増え続けて昭和50年には2226kcal、炭水化物63%、脂質22%に達しました。その後は高度経済成長の終わった昭和60年には摂取カロリー2088kcal、炭水化物60%、脂質25%となり、それ以降摂取カロリーは徐々に減少しているものの、その比率の変化は殆ど見られておりません。


C:犯人はだれだ?

現在、脂肪肝の患者さんは益々増加しています。今まで見てきましたように、それらの発症が脂質の摂取量と密接に関連していますが、それだけならば、脂肪肝は昭和50?60年頃をピークとして現在は減少に転じていなければなりません。実情はそうなっていません。脂肪肝増加の犯人は一体だれなのか、という問題が十分に解決してはいないのです。脂肪肝増加の犯人は赤肉、加工肉摂取量と密接に関連していると指摘する研究者がいます。あと、単純糖質つまり、糖質の加わったジュース類、果物、菓子の過剰摂取も脂肪肝に繋がります。おそらく、食生活ではこのような要素が複合して脂肪肝の増加に繋がっているのです。それにストレス社会から逃れるためについつい過剰に摂取してしまうアルコールも大きな原因です。


3 処方箋

脂肪の過剰摂取をせず、アルコールは日本酒換算で一日一合以下にすること。早食いはせず、時間を掛けて食事すること、腹八分目が基本です。そうはいっても忙しい現代社会でゆっくり食べてなんかいられないと思っているあなた、急いだって余り変わりません。それに健康で長く活躍することを選んだ方が結局は社会に貢献することになるのだと達観することが大切なのではと思います。我々の祖先は毎日必ず食事があるとは限らないような時代もくぐり抜けてきました。現代人は食べ物に感謝しながら食事することが少なくなってしまったので、よく噛まず(よく味合わず)流し込むような食生活を送っている人も珍しくない悲しい状況です。食べ物が目の前にあることに感謝しながら味わって食事が出来れば、結局食べ過ぎることも減るのではないかと思います。




2013/3/15発行

医師 小島眞樹

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